福島県いわき市のフレンチレストラン『シェ・栗崎』で、2025年9月21日、一日限りの特別な食堂が開かれた。お客様をもてなしたのは、シェフの栗崎透さんと、妻の容子さん。かつてホールスタッフとして働いていた容子さんは、2019年に認知症と診断され長く現場を離れていた。この日の食堂には、昔と同じ笑顔で客を迎え、得意の「ソムリエ注ぎ」でワインをサーブする容子さんの姿が戻っていた。
この日開かれたのは、認知症の状態にある人がホールスタッフとして働く『注文をまちがえる料理店』のスピンオフイベント、『注文をまちがえるみんなの食堂』。2017年に始まり、大きな話題となったこの取り組みを知った透さんは「いつか自分も」と思い続けてきた。コロナ禍を経て、念願だった自分の店での開催が実現できた。

水島圭輔
福島県いわき市で『注文をまちがえるみんなの食堂』開催
期間限定のイベント型レストラン『注文をまちがえる料理店』は、認知症の状態にある人がホールスタッフとなり、お客さんも「まちがえちゃったけど、ま、いっか」と笑って受け入れることをコンセプトにしたお店だ。
2025年には、原宿以外にも全国34カ所でスピンオフイベントが開かれ、その一つが透さんのお店で開かれた『注文をまちがえるみんなの食堂』だった。スタッフとして、かつて『シェ・栗崎』の接客を一手に担っていた容子さんのほか、福島県内など近隣で暮らす、他の認知症の方もホールスタッフとして参加。毎週火曜日に店で開いている子ども食堂の子どもたちも「キッズサポーター」として参加し、ランチ、ディナーともに予約で満席となった。

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容子さんは、58歳の時に認知症と診断された。接客が徐々に難しくなってからは、容子さんのペースに合わせ、店の規模を縮小。2023年7月に移転したあとは、透さんが仲間の力を借りながら営業を続けてきた。
歓声に包まれたソムリエ注ぎ
客と言葉を交わすうちに、容子さんの表情には自然と笑みが広がっていった。ワインについて尋ねられた子どもたちが「容子さん」と元気に呼びかけると、そこから会話が弾む。やがて店内には、大きな歓声がーー。
そこには、ワインボトルの底を持ち、エチケット(ラベル)を客に見せながら、静かにワインを注ぐ容子さんの姿があった。『シェ・栗崎』でかつて日常だった「ソムリエ注ぎ」をする光景が、目の前に蘇っていた。

『シェ・栗崎』提供
当日、キッチンで一人奮闘していた透さんは、その様子をあとから客に教えられた。テレビニュースの映像で実際に目にしたときは、驚きを隠せなかったという。
「そんなことできるんだってビックリしましたね。ソムリエ注ぎって難しいんですよ。俺は全然できないですから。周りからは『あの環境で活性化したんだね』と言われました」
一方、それは、容子さんだけに特別に起こった「奇跡」ではなかった。参加した別のスタッフも、普段の物静かな様子とは一変してニコニコと接客をしていた。
「お母さんからは『うちの娘があんなにいきいきしてるのを初めて見ました』と。そんな力があるんだと思いましたね」と透さんは振り返る。
接客でファンを獲得。地元で人気のレストランに
店で働き始めた容子さんは、客の顔と名前をすぐに覚え、心地よい距離感で会話をする力は天性のものだったと、透さんは顔をほころばせる。

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「彼女の接客は本当にすごいんです。お客様の顔と名前はもちろん、 あの人はあそこに座ってたとか、こんな話をしたとかまでしっかり覚えてる。お客さんが喜ぶんですよ。レストランって料理よりも接客が半分以上。料理はとりあえず美味しいのを出すぐらい。あとはもうホールの人の力ですよね。それが良かったんじゃないかな」
当時、いわき市ではまだ珍しかったフランス料理の店は、容子さんの接客にも引き寄せられるように客が集まり、いつしか予約で埋まる人気店になった。
容子さんは好きが高じてワインの勉強を始め、2005年にはシニアソムリエの資格も取得。勉強会や外食先で新しいワインに出会うたび、エチケットを集めていた。その裏には、味わいの特徴だけでなく、いつ、誰と、どんな料理と一緒に飲んだのかまで細かく書き留めてある。

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「1個1個全部書いてあるんですよ。それもソムリエの仕事のひとつみたいになってましたね。20年分くらいあってもうすごい量ですよ。本人は『あとで見返すのが老後の楽しみ』って言ってましたね」
58歳で若年性認知症と診断
変化が現れたのは、容子さんが58歳の頃だった。注文を受けた飲み物や料理を出し忘れることが増え、透さんとの会話をところどころ覚えていなかったり、話がかみ合わなかったりすることもあった。「なんかおかしいな」と感じる場面が重なっていった。
病院を受診すると、アルツハイマー型の若年性認知症と診断された。若年性認知症とは、65歳未満で発症する認知症の総称だ。診断で原因はわかったものの、家族として何をすればよいのか、どこに相談すればよいのかはわからず、透さんは途方に暮れた。
「医療と介護が繋がってなかったんですね。ドクターに聞いても、家族はどうしたらいいのか、どんなサポートを受けられるのかとかは何にも教えてもらえなくて。たまたま認知症の人と家族の会っていうのを見つけて、そこでいろいろ教えてもらって救われましたね」

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家族会とつながったことで、透さんはようやく、市の地域包括支援センターや地域包括ケア推進課に相談できることを知った。地域包括支援センターは、高齢者の介護や暮らしについて地域で相談できる窓口だ。障害者手帳の取得や年金の受給など、利用できる制度や必要な手続きについても教わった。どれも、それまで知らなかったことばかりだった。
忘れても「ま、いっか」と思えるまで
容子さんとの接し方についても、家族の会で出会った経験者から学ぶことが多かったと透さんは振り返る。
「容子が失敗するたびに『なんでできないの?』とか『こうしたらいいよ』とか言ってたんです。そしたら『そんなんじゃダメだよ』って怒られて。『人は写し鏡だから、栗崎さんがそんなに怒ってたら容子さんだってイライラしちゃうよ』って言われて、なるほどと思いましたね」
診断を受けた当初、透さんは「どうすれば治せるか」ばかりを考えていた。「この薬がいい」「有酸素運動がいい」と聞けば、できる限り試した。二人で懸命にパワーウォーキングをしていた時期もある。
「誰かから『治らないんだよ。だからそんなに頑張んなくていいんだよ』みたいなこと言われたんです。昔はなんとかしようとシャカリキになってたんだけど、それがなくなりました。今はもう、忘れるけど『ま、いっか』っていう感じですね」

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容子さんの認知症は少しずつ進んでいる。昨日会った人や朝ごはんのメニュー、1時間前の出来事は覚えていない。それでも、昔の記憶は残っており、長年二人で続けてきた登山の話になると思い出話は尽きない。
「認知症の人は何もできないっていうのはまったくの嘘だと思いましたね。今のことはちゃんとわかってるし、感情もそのままだし、ただ新しいことを録画する機能がなくなってるっていうだけ。もっと昔に録画してたものはちゃんと残ってる。そういうことがだんだんわかってくるんですよね」

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職場でも施設でも「居場所がない」若年性認知症
若年性認知症には、「体は元気なのにできないことが増えていく」という難しさがあると透さんは話す。透さんが家族会で出会った50〜60代の多くは、診断後に仕事を辞めざるを得なくなった。一方、自宅から通って介護や機能訓練などを受けるデイサービスでは、利用者の多くが高齢者だ。そこでの活動や会話に世代の違いを感じ、通うことをためらう人もいる。働く場を離れたあとも、安心して通える場所がなかなか見つからない。
「65歳ってまだまだ元気だし、普通のデイサービスじゃつまんないってなっちゃうんですよね。毎日塗り絵とかやってられないし、世代が違うから会話も難しい。それじゃ行きたくないって思っちゃいますよね」

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診断後の生活を手探りで支えるなか、透さんは家族会の仲間から『注文をまちがえる料理店』の本を紹介された。そこには、認知症の状態にある人たちが楽しそうに接客し、それぞれのできることで助け合い、ときには成功を一緒に喜ぶ姿が描かれていた。透さんは強く心を動かされ、「いつか自分も」と想いを馳せるようになった。
そして2025年、念願の自分の店での開催。
働くスタッフもお客さんも、みんなが笑顔。そんな空間のなかで、透さんは「環境が人を変える」現場を何度も目の当たりにしたという。
「人に会えることで活性化し、みんなが助け合える場所にきっとなる」
そう確信した透さんは、認知症の状態にある人が働く常設店をつくろうと動き始めた。

『シェ・栗崎』提供
「その瞬間を見られただけでもやってよかったと思いました。『またやってほしい』という声もたくさん聞いて『これはやんなくちゃ』と反射的に思いましたね。こういう環境があれば、みんなが助け合うことが日常になるし。認知症の状態にある人たちが活性化する機会にもなるかもしれない。若年性認知症の人たちの居場所になったらいいなってのが一番ですね」
そうして透さんは、『注文をまちがえるみんなの食堂』を一日限りのイベントではなく、認知症の状態にある人が接客する常設のレストラン『シェ・栗崎』として再出発させることを決めた。
レストランとデイサービスをひとつの場所に
透さんが考えたのは、フレンチレストランのランチ営業とデイサービスを組み合わせる新しい形だった。デイサービスの利用者は、希望や得意なことに応じて、接客など店の仕事に参加する。メニューは、メイン料理を選べるコース。前菜からデザートまで提供し、調理経験がある人には仕込みや洗い物も手伝ってもらう。

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「できることは全部自分でやってもらうことで、機能訓練にもなる。接客が苦手な人や今日は働く気分じゃない人は、隣の部屋で普通のデイサービスとして過ごすこともできる。そんな感じの働けるデイサービスにしたいんです」
かつてレストランで使う野菜を自らの畑で育てていた経験を生かし、中庭で野菜を栽培することも計画した。毎週火曜日は店を休み、子ども食堂を続ける。子どもから高齢者まで、世代を超えて人が集まれる場所にしたいと透さんは話す。
「認知症の状態にある人たちが集まると、助け合ったりするんですよね。できることがそれぞれ違う中で、できる人ができない人に教えたり。お互いにサポートするような環境を作れたらいいなって思います。ずっとこういう場所が続いていったら、そのうち俺らがじじばばになった時にみんなに面倒見てもらえっかもしんないしね(笑)」

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『シェ・栗崎』が常設店として再出発
構想から半年後の2026年3月1日、『注文をまちがえるかもしれない料理店 シェ・栗崎』がオープンした。
さらに半年経った今では、ホールに立つスタッフは容子さんを含めて6人に増えた。当初は週1回の予定だったものの、接客が楽しくて「もっと行きたい」と本人が希望し、週4回に増やした人もいる。
あるスタッフは、客に料理を説明するため、「料理の説明を教えて」と何度もキッチンに尋ねに来る。覚えることが難しいと周囲が理解しているからこそ、そのたびに伝える。何度でも支えることも、安心して働ける環境づくりの一部だ。
「居場所だと思える場所と環境さえあれば、みんなが活性化して良い方向に変わっていく。これはもう今は確信しています。もう表情が全然違うんです。働いてる時の姿を写真に撮って家族に見せたりするんですけど、家族が『家にいる時と全然違う』と喜んでくれるのがうれしいですね」

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認知症であることを周囲に伏せる人は多いが、透さんの周りでは、少しずつオープンにする人も増えているという。
「オープンにするといろんなことが楽になるんですよね。隣近所の人にもよく助けてもらってます。周りの人に知らせておくと、みんなサポートしてくれるし、安心できるんです」
今年で39年目を迎えた『シェ・栗崎』は、容子さんが得意な仕事を続けられる居場所として生まれ変わった。美味しいフランス料理を目当てに訪れた客を、認知症の状態にあるホールスタッフがもてなし、そこでしか味わえない楽しい時間をともに過ごすーー。
そんな日常が、福島県いわき市の一軒のレストランで始まっている。

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取材・文:水嶋奈津子
撮影:水島圭輔

2 時間前
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