(CNN) 中世イングランドの王、ハロルドにまつわる悲劇の物語は、今なお英国の大衆文化において大きな存在感を放っている。よく知られるヘースティングスの戦いでウィリアム征服王に領土を奪われたハロルドだが、新たな研究によると、その物語には見直しが必要になるかもしれない。
アングロ・サクソン人の最後の王ハロルドの短い統治は、1066年のヘースティングスの戦いで終焉(しゅうえん)を迎える。勝利したノルマンディー公ウィリアムがイングランドの指導者として君臨し、この国の姿を永遠に変えた――これはテレビやポッドキャスト、歴史の授業で繰り返し登場する慣れ親しんだ物語だ。しかし写本の新たな分析により、ここへ来てハロルドの壊滅的敗北の性質に新たな光が当てられている。
ハロルドとその軍勢がウィリアムと対峙(たいじ)する前に敢行したとされる322キロメートルに及ぶ過酷な行軍は、実際には行われていなかったと、英イースト・アングリア大学の中世史・文学教授トム・ライセンス氏は述べる。定説ではこの行軍が軍勢を消耗させ、戦闘準備を不十分なものにしたとされている。これに対しライセンス氏は、軍勢は行軍ではなく船で南下したのだと主張している。
記録の再検証
従来の見方によればハロルドの軍勢は、上記の距離を10日間で移動したことになっている。その前にはイングランド北部ヨーク近郊のスタンフォード・ブリッジでの戦いで、王位を争うもう一人のライバルだったバイキングの指導者、ハラルド・ハードラダとの激戦を制していた。その移動距離の遠さを考慮すると、ライセンス氏をはじめとする歴史家たちにとってこれは長らくあり得ない話と見なされてきた。
この劇的な陸路行軍の話は、主にビクトリア朝時代の解釈が定着したものだとライセンス氏は指摘。その起源は、ハロルドの船団が「本国へ送られた」とする「アングロ・サクソン年代記」の記述の誤解に遡(さかのぼ)るという。同年代記は当時の聖職者たちが古英語で記した主要な出来事の記録だ。従来の解釈では、「本国へ送られた」とは解散を意味し、船はそれぞれの母港へ送り返されたと想定されていた。しかしライセンス氏は年代記を精査する中で、繰り返し登場する「本国」という語がハロルドの拠点だったロンドンを指していることに気づいた。
「『船団が帰還した』という記述は、船団がそれぞれの港へ送り返されたという意味ではないと気づいた。船団は本拠地であるロンドンへ送られたのだ」。年代記の著者の一人を引用して、ライセンス氏は語った。

3 週間前
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