158年信じられてきた幾何学のルール、ドーナツ2つで覆される――「部分を測っても全体は決まらない」

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アリは自分が乗っている形を知ることができるのか

部分を全部知ると全体がわかるのか?

アリは自分が乗っている形を知ることができるのかアリは自分が乗っている形を知ることができるのか / Credit:Canva

ある思考実験から始めましょう。

あなたは小さなアリです。巨大な風船の表面に立っています。自分が今、どんな形の物体の上にいるのかを知りたい。けれどあなたは小さすぎて、全体を遠くから見渡すことはできません。

できるのは、表面を歩き回ることだけです。

このとき、アリにできる「測量」は2種類あります。

ひとつは、「ここからあそこまで、表面に沿って歩くと何歩か」を測ること。これは数学では計量(けいりょう)と呼ばれます。地図でいう「道のり」の情報です。

もうひとつは、その表面が外の空間に対して「どちらの向きに、どのくらい曲がっているか」という情報。風船の上なら外向きに膨らんでいる感覚があり、お椀の内側なら内向きにへこんでいる感覚がある。この曲がり具合を平均したものが平均曲率(へいきんきょくりつ)です。

そこで、フランスの数学者ピエール・オシアン・ボネは1867年に、こう問いました。

「もしアリが、表面のあらゆる地点で道のりと曲がり具合を完璧に測り尽くしたなら、その情報からその形をひとつに特定できるはずではないか?」

これは、聞いた瞬間に「そうに違いない」と納得してしまう類の主張です。

考えてもみてください。すべての地点での距離と曲がり具合がわかっているのに、形が特定できないなんてことがあるでしょうか。それは、すべてのピースの形と並び方を知っているのにジグソーパズルが組めない、と言っているようなものです。

あまりに正しく聞こえるために、多くの数学者がこれを「ボネの問い」として、半ば公理のように受け入れてきました。

正確に言えば、これは証明された定理ではなく、ボネが後世に投げた問いでした。けれど数学の世界では、強い直感を伴う問いほど、長く宙に浮いて残るものです。

実際、ボールのような単純な閉じた曲面(球面)については、ボネの直感が正しいことは後に証明されました。

しかし、ドーナツについてはどうでしょうか?

理論的にはいるはずの「双子」がみつからない

理論的にはいるはずの「双子」がみつからない理論的にはいるはずの「双子」がみつからない / Credit:Canva

話は1981年に飛びます。

ローソンとトリビュジーという2人の数学者が、こんな結果を証明しました。

「同じ計量と同じ(一定でない)平均曲率を持つコンパクトな曲面の形は、多くても2つまでしか存在しない」

これはどういうことでしょうか。

もう一度ドーナツに戻りましょう。あなたが熟練の職人に、「このドーナツの表面と、まったく同じ道のり、まったく同じ曲がり具合を持つ別のドーナツを作ってくれ」と依頼するとします。

ローソンとトリビュジーの定理は、こう保証します。「もし作れたとしても、せいぜい”双子”のもう1個まで。3個以上はあり得ない」と。

しかし、この双子には思いがけない性質がありました。

表面に住むアリがどこを歩き回って測っても、道のりも曲がり具合も完全に同じ値しか出ない。にもかかわらず、上空から見下ろすと2つのドーナツの全体の形は微妙に違っている。膨らみ方、ねじれ方、肉づき方がどこか違う。

「局所的にはまったく同じ。しかし全体としては別物」

これが「ボネペア」と呼ばれた、理論上の双子です。

もし誰かがこの双子を「これです」と提示できれば、158年前に提示された幾何学のルールを覆すことができます。

問題は、誰も実際に双子のドーナッツを見つけられなかったことでした。

理論的にはあり得るとわかっていながら具体的に「ほら、これがそのペアです」と提示できた数学者は、何十年にもわたってゼロだったのです。

事態は混迷を深めました。2010年には、ある数学者が「コンパクトなボネペアは存在しない」と主張する論文を発表します。これで議論は終わるかと思われました。

ところが2012年、その数学者は自ら主張を撤回します。

「あるかもしれない、ないかもしれない、誰にもわからない」――そんな宙ぶらりんの状態が、その後も続きました。

これは数学者にとって居心地の悪い状況でした。なぜなら、答えのある問いは美しいけれど、答えがあるのかどうかすらわからない問いは不安だからです。

ボネが1867年に投げた問いは、158年のあいだ、ずっとそこに居座り続けていました。

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