写真家アベドンのドキュメンタリー、カンヌで初上映 ハワード監督が選んだ傑作4点

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(CNN) 多くの人々と同じように、映画監督のロン・ハワード氏はこれまでの人生を通し、米国の有名写真家リチャード・アベドンの作品と知らず知らずのうちに出会ってきた。物憂げにカメラから視線を外したマリリン・モンローや、悪魔の角をまねるチャーリー・チャプリン。挑発的なカルバン・クラインの広告に登場したブルック・シールズ。アベドンについての新作ドキュメンタリーを撮るために古い作品の数々をかき分け、被写体になった人々とのインタビューを重ねるなかで、ハワード氏は雷に打たれるような気づきの瞬間を何度も経験した。

過去の作品をさかのぼり、被写体の幅広さを知る過程は「驚きに満ちていた」と、ハワード氏は語る。自身と比べて「アベドンは勇敢だった」「思い切った飛躍が多く、取ったリスクも多かった」という。

20世紀後半、米国文化で名を成した人はだれもが(ハリウッドスターから大統領、革命家まで)アベドンにポートレート撮影を依頼した。アベドンは真っ白な背景をよく使い、相手がまとう外面の皮を巧みにはぎ取って、真の人間性をあらわにした。

「In the American West」のためにモンタナ州の牧場労働者を撮影するアベドン=1983年6月27日/Laura Wilson
「In the American West」のためにモンタナ州の牧場労働者を撮影するアベドン=1983年6月27日/Laura Wilson

ハワード氏のドキュメンタリー映画はシンプルに「Avedon」と題され、先週末にカンヌ国際映画祭で初上映された。2004年に81歳で亡くなったアベドンの記録映像と、ごく親しかった人々との率直なインタビューに基づいた作品だ。息子のジョン氏は、愛情深いけれど留守がちだった情熱的な父親の思い出を語っている。

CNN取材班はハワード氏に、アベドンの写真で特に好きな4点を挙げてほしいと頼んだ。同氏は、何千点もの写真から絞り込むのは「難題だ」と言いつつ、快く応じてくれた。

ハワード氏が選んだ写真を紹介しよう。

チャプリンのおちゃめな悪魔

チャーリー・チャプリン=1952年9月13日、ニューヨーク/The Richard Avedon Foundation
チャーリー・チャプリン=1952年9月13日、ニューヨーク/The Richard Avedon Foundation

時は1952年。世界的な有名人で政治的進歩派のチャーリー・チャンプリンは、反共産主義時代の米当局の過熱ぶりを感じていた。英国出身のチャプリンは数十年前から米国に住んでいたが市民権は取得せず、当時の敵対的な政治家や右翼メディアによる批判の的になっていた。

チャプリンはアベドンによるポートレート撮影を承諾した。「アベドンは緊張と不安を感じていた」と、ハワード氏は言う。2人は一通りの撮影を済ませたが、それはかなり形式ばっていた。ハワード氏によると、アベドンは「撮影のチャンスに高揚する」一方、「いつもの狙い通りに相手の本質を引き出しているとは感じなかった」ようだ。

映画に使われた記録映像で、アベドンはこう振り返っている。「撮影を終えたところで、(チャプリンが)『今度は私がひとつ、やってみせていいか』と言った。そしていったんうつむくと、猛烈なしかめ面に角をつけて顔を上げた。その後『いやいや、もう一度』と言って、次は笑顔を繰り出した」

チャプリンと家族は翌日ロンドン行きの船に乗り、その後再び米国で暮らすことはなかった。アベドンが愉快そうに語ったところによると、新聞紙上ではチャプリンが「私のスタジオに潜伏」しているとの臆測が飛び交ったが、「結局この写真が、かれの米国への最後のメッセージになった」という。

ハワード氏によると、この写真には当局に対するやんちゃな「くたばれ」の合図とともに、アベドンの「鍛錬とプロ意識」が表れている。「チャンスは一度限りだったが、見ての通り鮮明で、かれの目に狂いはない。もちろんチャプリンも恐らく、自分の位置から動かないように心得ていただろう。2人はこの瞬間を見事にとらえた」

マリリン・モンローの仮面が外れた時

マリリン・モンロー=1957年5月6日、ニューヨーク/The Richard Avedon Foundation
マリリン・モンロー=1957年5月6日、ニューヨーク/The Richard Avedon Foundation

1957年、マリリン・モンローは岐路に立っていた。前年に劇作家のアーサー・ミラーと結婚し、セクシーなブロンド美女という自身のイメージに抵抗する姿勢を強めていた。アベドンが依頼されたのは、新作映画「王子と踊子」のための写真撮影だった。

被写体の内面生活、仮面が外れる瞬間をとらえるというアベドンの手法にとって、モンローは究極の難題だった。常に撮られる態勢が整っている人物を、どう撮ればいいのだろうか。

ハワード氏によると、それは「長い一日」だった。「衣装をあれこれ替え、散々踊って動いた」という。撮影が長引くうちに、アベドンはモンローの集中が途切れ、上の空になって力のない表情を浮かべているのに気づいた。すかさずシャッターを切る。

「偶然ではなかった」と、ハワード氏は言う。「これがアベドンの監督としての才能、語り手としての才能だ」

地元に立つルー・アルシンダー

バスケットボール選手のルー・アルシンダー=1963年5月2日、ニューヨーク/The Richard Avedon Foundation
バスケットボール選手のルー・アルシンダー=1963年5月2日、ニューヨーク/The Richard Avedon Foundation

この写真に真っ白なスタジオはない。撮影場所はルー・アルシンダーの地元だ。カリーム・アブドゥル・ジャバーの名で米プロバスケットボールNBAのトップ選手になる前、かれは栄光の一歩手前に立つ一人の高校生だった。

この写真からは「運命に立ち向かう者の感じが伝わってくる」と、ハワード氏は語る。

同氏によれば、写真には当時のアベドンが公民権運動、後にはベトナム戦争への関心を強めていったキャリアの変遷も反映されている。

やがてずっと後になると、アベドンは米西部の労働者階級にレンズを向け始めた。白い背景の前で今度は肉屋や炭鉱労働者、ウェートレスを撮影し、米国の「見えない労働力」と呼ばれる人々を鮮やかに浮かび上がらせた。

父親の最後のポートレート

ジェイコブ・イスラエル・アベドン=1971年5月15日、フロリダ州サラソタ/The Richard Avedon Foundation
ジェイコブ・イスラエル・アベドン=1971年5月15日、フロリダ州サラソタ/The Richard Avedon Foundation

アベドンは少年時代、父親とは疎遠だった。ドキュメンタリーに出てくる映像で、こう語っている。「フロリダ州に住む、76歳の知らない男性がいることを知った。息子と自分自身のために、この親がどういう人物なのかを確かめなければと思った」

アベドンは60年代後半から73年に父が亡くなるまで、父のポートレートを撮るために同州サラソタへ通った。

父は時間が経つにつれ、リラックスしたポーズで親密な会話を始めるなど、カメラに心を開くようになった。がんで死期が近づいてからも、弱り切った姿を息子に撮らせ、「その瞬間を通して心を開き分かち合った」と、ハワード氏は語る。

アベドンはドキュメンタリーの中で、自身にとって「父の撮影は単に父を撮るということだけでなく、自分たちが本当は何者なのかを、技巧の作為なしで撮ることだった」と話している。

父の晩年に父を本当の意味で知ることができたのは、「人生で最も幸せなことのひとつ」だとも述べた。

ハワード氏は、アベドンのキャリアを追ったドキュメンタリーが感動を呼ぶことを確信していた。さらに、撮影者としてのアベドンがいかに大きなインスピレーションをもたらすかを知ったのは驚きだった。写真の裏話を知るにつけ、それは「創造者としての人生における、ある種の生きた教訓になった」という。

ハワード氏は「私が描いたアベドンの肖像が、アベドンから私たちに贈られた数多くの素晴らしいポートレートと同じように、秘められた真実を浮かび上がらせるよう願っている」と述べた。

原文タイトル:Ron Howard’s new film on famed photographer Richard Avedon, explained in four remarkable shots(抄訳)

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