2026年3月26日夜、東京・池袋の商業ビル内で、女性店員が元交際相手の男に刺されて死亡する事件があった。またしても起きてしまった「ストーカー殺人」である。
このニュースに触れたとき、私はある警察OBの話を思い出した。
「扱う警察署によって、対応に温度差がある」。民間企業での仕事を通じて警察署を訪れる中で、OBはそう実感したという。
対応に温度差があれば、「A署なら早期に解決したはずの相談が、B署では消極的な対応のまま事件に発展してしまう」ーーといったことも起こり得る。
当然だが、相談者の運命がたまたま足を運んだ警察署の対応によって左右されて良いはずがない。相談者がどこの警察署に行っても、結果は同じでなければならない。
それでも現実には、対応の差が命を左右してしまうことがある。その最悪の例の一つが、ストーカー殺人である。

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ストーカーは「恋愛のもつれ」という空気
少し昔の話になるが、私は約30年前、今で言うストーカー殺人事件を担当した。ただ当時、まだストーカーという言葉は社会に浸透していなかった。
1998年、東京都内で当時19歳の女性が刺殺された。主犯は被害者の元交際相手の男で、実際に手を下したのは、その男に従属していた仲間だった。
捜査を進めると、女性は事件の前、元交際相手の男らに連れ去られる被害に遭っていたことがわかった。
一方、女性はストーカー被害について、一度も警察に相談していなかった。状況証拠からは、「殺される」とまでは思っていなかった様子がうかがえた。
今ならこれは、典型的なストーカー事件だとわかる。だが、ストーカーという言葉が一般的ではなかった当時、このような事件は「恋愛のもつれの延長線上で起きるもの」といった空気が世間にあった。
警視庁にもストーカー対策の部署はなく、組織内には「家族や友人間の争いに警察は介入せず、できるだけ当事者間で解決させる」という考え方、いわゆる「民事不介入の原則」が浸透していた。
この時代の硬直した空気や考え方は、現代でも見られる「対応の温度差」の源流と言える。
しかし、それらを根底から覆す出来事が、この事件から約1年後に発生する。
1999年10月に起きた「桶川ストーカー殺人事件」(桶川事件)だ。

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桶川事件で一変した空気
桶川事件では、被害女性の元交際相手の男が、交際を絶たれたことを逆恨みし、ストーカー行為を行った。
男の兄らも加わり、ストーカー行為は中傷ビラをばらまくなどエスカレートしていった。最終的に男は兄ら3人と共謀し、女性をJR桶川駅近くで刺殺した。
男は事件後に自殺。兄ら3人も逮捕されたが、社会が注目したのは“事件そのもの”だけではなかった。
女性が事件前、ストーカー被害を何度も警察に相談していたことがわかったのだ。しかし警察は、適切な対応を取っていなかった。
メディアは「消極的対応こそが事件の本質であり、救えたはずの命だった」と相次いで報じた。
警察の対応の不備などが次々と明らかになり、結果として懲戒免職3人を含む計15人の警察官が処分される事態へと発展した。
この事件をきっかけに、全国の警察組織に残っていた「民事不介入の原則」という考え方は改められた。
世間から、「警察はこの言葉を口実に、家庭内DVや虐待、ストーカー事案から逃げているのではないか」と厳しく批判され、その言葉自体が組織内で“死語”となった。
2000年には「ストーカー規制法」が施行。土台も整えられ、警察もストーカー行為への対応がよりしやすくなった。事件に発展する前に警察が介入するという意識も根付いてきた。
だが、その後もストーカーによる殺人事件は相次いで発生している。
長崎県西海市、神奈川県逗子市、東京都三鷹市、神奈川県川崎市、東京都豊島区ーー。悲劇が繰り返されている以上、「桶川事件の教訓が活かされていない」と批判されても仕方がない。

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殺人に発展する「6つのステップ」
こうした悲惨な事件を一つでも減らすため、何が必要なのか。私自身の経験を書いておきたい。
まず、ストーカー事案は基本的に、「いきなり殺人事件に発展する」わけではない。そこに至るまでには、必ず加害者からのシグナルがある。
例えば、何度も復縁を迫って断られた加害者は、次のような段階を踏んで被害者に接近していく。
①SNS等で被害者の悪口を書き込むようになる
②被害者の自宅周辺を徘徊したり、中傷ビラを貼ったりする
③自転車を傷つけたり、玄関の鍵穴に接着剤を入れたりするなどの嫌がらせをする
④自宅や勤務先の近くで待ち伏せをするようになる
⑤被害者の前に突然現れ、暴力を振るったり連れ去ろうとしたりする
⑥被害者を殺害する
このように、殺人事件に至るまでは段階を踏む。そのため、読者の中にストーカー被害に遭っている人がいたら、自分が今どの立ち位置にいるのかを確認してほしい。
私自身、警察署の刑事課長時代に、まさにこの見極めが問われる事件を経験した。
被害女性は、元交際相手の男から自宅近くで待ち伏せされたり、暴力を受けたりしており、段階でいえば④から⑤に差し掛かっていた。
一刻を争う状況だったため、私は男の逮捕状を請求しようとした。すると、女性から「逮捕したら逆に男を怒らせる。警察は私を24時間守ってくれるんですか」と言われた。
もっともな不安だったが、状況はすでに⑥(殺害)に近づいていたことから、私は「ここで逮捕を止めれば、むしろエスカレートする可能性がある。保護措置は可能な限り行います」と伝えた。
その後、男を逮捕し、無事にストーカー行為も収まった。

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「お節介」と「心配性」
ストーカー相談の基本は、「自分の家族を愛するように相談者に接する」こと。端的に言えば、「お節介」や「心配性」であることだ。
相談者の中には、自分自身がいかに危険な状態に置かれているかがわからない人もいる。捜査に協力的でなかったり、逮捕に向けて準備を進めている最中に加害者と復縁したりする人もいる。
だからといって、「被害届を受理してもすぐに寄りを戻すだろう」と消極的な対応をしてしまえば、そこに油断や慣れが生まれ、取り返しのつかない事態を招く。
また、被害届の提出を踏みとどまる被害者には、時に説得してでも被害届を出させるべきだ、と私は考える。
頭に血が上っている加害者を冷静にさせ、事態が最悪の方向へと進むのを防ぐこともできる。
そして、どんなに小さな相談であっても、必ず組織内で共有し、複数の目で精査することが重要だ。相談者には、医療機関のような「セカンドオピニオン」という選択肢は存在しない。
その上で私が確信しているのは、ストーカー事案の原則は「民事不介入」ではなく「民事介入」であるべきで、警察の介入が早ければ早いほど、ストーカー殺人は防げる可能性が高くなるということだ。
全国のストーカー相談件数は、約2万件(2024年)。その一件一件に、100点の対応をしなければならない。
100件のうち99件を完璧に処理しても、残る1件で相談者が命を落としてしまえば、それは99点でも0点でもなく、大きなマイナスとして警察への信頼を根底から揺るがす。
だが、「お節介」や「心配性」を尽くしても、なお防げない事件がある。冒頭で言及した、東京・池袋で起きた事件のようなケースである。

Keita Aimoto
警察の対応は迅速だったが…
東京・池袋の事件において、警察の対応は迅速だった。
2025年12月25日、元交際相手の男からのストーカー行為に悩んでいるという被害女性の相談を受けた警察は、女性を自宅に送り届けた際、男が近くに現れたことからストーカー規制法違反で逮捕した。
その際、男が乗ってきた車の中に果物ナイフがあったことから、26年1月8日に男を銃刀法違反で追送致。同15日には、女性への盗撮容疑でも再逮捕した。
さらに男は、1月29日にストーカー規制法に基づく禁止命令も受けている。翌30日には三つの事件で略式起訴され、警察は男が釈放された後も、女性への保護対策を継続していた。
しかし、男は3月26日夜、女性が働く商業ビルの店舗に押し入り、刃物で女性を殺害した後、自ら命を絶った。警察が早期に介入し、逮捕や禁止命令といった措置を積み重ねてもなお、悲劇を防ぎきれなかった。
相談対応や逮捕だけでは見えてきた限界ーー。
そこで警察は近年、加害者本人に医療機関の受診を勧める対応に力を入れている。治療でストーカー行為を改善させる目的がある。
特に警視庁は2026年6月、東京公認心理師協会と協定を締結し、公認心理師が面談した上で、医療機関への受診を働きかける取り組みも始めた。
ストーカー行為を治療する。この発想は画期的だ。
だが、この仕組みには強制力がない。警察が医療機関の受診を勧めても、加害者が実際に医療機関を受診するケースは極めて少ないという。
受診を拒否されればそれまでだ。私はここに、法整備の必要性を感じている。
「なぜ、相談していたのに守れなかったのか」。桶川事件から四半世紀以上が経った今も、私たちは同じ問いに向き合い続けている。
その答えを、加害者へのアプローチという新たな一手にまで踏み込んで、探し続ける必要がある。
(執筆・副島雅彦、編集・相本啓太)
◆副島雅彦さんプロフィール
福岡市生まれ。1985年、警視庁に入庁。刑事警察に25年携わり、うち16年は殺人や強盗などの凶悪犯罪を扱う捜査1課に在籍した。
警視としては、警察署の刑事組織犯罪対策課長や、知能犯を担当する本部捜査2課の管理官を歴任。
2016年から捜査1課管理官(殺人・庶務)。2019年から捜査1課ナンバー2の理事官として、捜査1課長を支えた。
2020年に退職。
これまでに、「ルーシー・ブラックマンさん失踪事件」や「船戸結愛ちゃん虐待死事件」など、数多くの重大事件の捜査に携わってきた。

5 時間前
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