(CNN) 質素な生い立ちから米国の音楽界の頂点へと上り詰めたカントリー歌手、ドリー・パートンさんが25日、テネシー州ナッシュビルの自宅で死去した。80歳だった。家族が声明で明らかにした。パートンさんは慈善活動にも熱心に取り組み、米国を代表する誰からも愛されるスターだった。
甥(おい)の声明によると、パートンさんは「安らかに」息を引き取ったという。声明では、近親者向けにささやかな非公開の葬儀が執り行われる予定だと言い添えた。
広報担当者はその後、パートンさんが「がんとの短い勇敢な闘病の末」に亡くなったと明らかにした。
パートンさんはここ2年間、様々な健康問題について率直に打ち明けており、特に昨年3月に夫を亡くしてからはその傾向が強くなった。ファンに向けた今年の動画では、「夫のカールが長いこと重い病に伏せって亡くなった時、私は自分のことを顧みなかった」「それで、本来なら気をつけるべきだったことをおろそかにしてしまった」と明かしていた。
米国の至宝
パートンさんは50年を超えるキャリアで3000曲あまりを手掛け、米国人の心象風景を捉えてきた。その中には、テネシー州の田舎にある実家で服を縫い合わせてくれた母親への静かな賛歌「コート・オブ・メニーカラーズ」も含まれる。恋愛や失恋をテーマにした「ジョリーン」や「オールウェイズ・ラヴ・ユー」のような曲も書き、歌い上げた。パーソンさん自身が出演した同名映画の主題歌「9時から5時まで」は、米国の女性や労働者を代弁する楽曲となった。
パートンさんはその後、49枚のアルバムをリリースし、グラミー賞を11回受賞。ケニー・ロジャースとのデュエット曲「アイランド・インザ・ストリーム」などのヒット曲でポップチャートの常連となり、ジャンルの枠を超えて活躍するカントリー・クロスオーバーの歌手として史上有数の成功を収めた。
後年は自身の絶大な成功を生かして慈善活動に尽力し、図書館プログラムを設立。世界中の子どもたちに3億冊以上の本を寄贈した。

ギターを手に肖像写真のポーズを取るパートンさん=1993年、テネシー州/Ron Davis/Getty Images
だが、パートンさんは何よりもまず、常にソングライターだった。パートンさんが好んで語っていたのは、大ヒット曲「オールウェイズ・ラヴ・ユー」がどのように生まれたのかというエピソードだ。1990年代にホイットニー・ヒューストンによってカバーされ一段と大きな成功を収めたこのラブバラードは元々、デュエットパートナーのポーター・ワゴナーさんに対し、一緒に出演していたテレビ番組を卒業させてほしいと懇願するところから始まった。
パートンさんの話では、ソロ転向を訴えたところ、ワゴナーさんは「全く耳を貸そうとしなかった」という。
「それで、私は家に帰ってこの曲を作り、翌朝持って行った。『座って聞いてほしい』と言ってこの曲を歌ったら、彼は涙を流していた」(パートンさん)。ワゴナーさんは折れ、パートンは深い心の痛みをつづったこの曲を手に、米国の音楽史上ほぼ類を見ないソロキャリアへの道を歩み始めた。

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