『となりのトトロ』は、なぜ『火垂るの墓』と同時上映だったのか? 鈴木敏夫さんの驚くべき交渉術

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「『火垂るの墓』を先に観た人はかわいそうでしたね」高畑監督も振り返った同時上映とは?

『となりのトトロ』は1988年4月に全国の映画館でロードショーされました。高畑勲監督の『火垂るの墓』と同時上映でした。昭和期に一般的だった上映手法で、1本目の上映が終わったあと休憩を挟んで、同じ席で2本目を見ることができました。
 
明るい作風の『となりのトトロ』に比べると、戦争孤児の過酷な運命を描く衝撃的な作品『火垂るの墓』とのギャップがすごかったと伝説になっています。高畑監督も後に「あのトトロと同時上映だったんです。(同じ料金で)どちらを先に観るかという問題。『火垂るの墓』を先に観た人はかわいそうでしたね」と振り返っていました
 
筆者も1988年春、『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』を地元埼玉県の映画館で見た際の記憶だと思うのですが、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』が並んだ同時上映の案内チラシが貼ってありました。夜のバス停で、少女の隣りに立つ不思議な動物「トトロ」。隣りの『火垂るの墓』のビジュアルも相まって、当時、小学6年生だった私は「なんだか怖そうなアニメがやるんだな」と感じていました。
 
同時上映は、1枚のチケットで2本分見れるのでお得です。ただし、『となりのトトロ』の上映時間は1時間26分、『火垂るの墓』は1時間28分。2本続けて見ると約3時間もかかった計算です。
  
これだけ上映時間があれば、それぞれ単独で公開しても良さそうですが、なぜ同時上映になったのでしょうか。それには深い理由がありました。

「社長、あなただけです」とライバル会社の社長を説得した鈴木敏夫さん

その秘密は、後にスタジオジブリの数々の作品でプロデューサーを手掛けた鈴木敏夫さんが著書で明かしていました。彼は当時、徳間書店のアニメ雑誌『アニメージュ』編集長として、宮﨑駿・高畑勲監督両氏に深く関わっていたそうです。
 
<最初は『となりのトトロ』だけやろうとしたんです。ところが、徳間書店の上層部は誰もOKしてくれない。これは昭和三〇年台の日本を舞台に、オバケと子供たちの交流を描く作品ですよね。しかし、原作がないオリジナル作品で、その上、昭和三〇年台は彼らの世代にとって日本が貧乏な時代で、いい思い出なんて一つもないんですよ。だから『となりのトトロ』は作りたくないという。>(『映画道楽』角川文庫より)
 
そこで鈴木さんは一計を案じました。新潮社がアニメに手を出したがっているという話を聞いたことをきっかけにして、新潮文庫から出ている野坂昭如さんの小説『火垂るの墓』を高畑勲監督でアニメ映画化。その上で『となりのトトロ』と同時上映にするというプランを発案します。鈴木さんは新潮社の佐藤亮一社長(当時)に直談判しました。
 
<「出版社の歴史としては圧倒的に新潮社の方が古い。この映画の企画を成立させるには事情があって、誰かが動かないといけない。それが出来るのは社長、あなただけです」と。佐藤社長は「僕は何をすればいいのかね?」と聞くので、「徳間社長に直接電話をしてもらいたい」とお願いしました。電話がいったら、徳間社長は喜んでくれました>(同上)

こうして、徳間書店の『となりのトトロ』と新潮社の『火垂るの墓』の二本立てがスタートすることになりました。まずはライバル会社の社長に交渉して、自分の会社の社長に連絡してもらうとは、並みのサラリーマンには思いつかない発想です。
 
同時上映になったのは、後に名プロデューサーとして名を馳せる鈴木敏夫さんの交渉術の成果だったのです。

ちなみに上映時間は当初、『となりのトトロ』も『火垂るの墓』も60分の中編映画の予定でした。ところが、高畑監督のこだわりで『火垂るの墓』の上映時間が伸びたことで、宮﨑監督も対抗して『となりのトトロ』の上映時間を延ばし、両作品とも1時間半程度の長編になったという経緯でした。

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