業界最長、勤続66年の客室乗務員が引退へ

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(CNN) ジョアン・プリンスクランドールさんにとって、客室乗務員でいることはいつも魅惑的だった。

その仕事は新たな経験への扉を開き、世界中を飛び回り、新しいことを学ぶ機会を与えてくれた。プリンスクランドールさんは、ハイヒールとファッションに彩られたフライトの日々を覚えている。そうしたものの多くは今日にはないものだ。

66年以上を経た今も、プリンスクランドールさんが飛び続けているのは、その魅惑の記憶があるからだ。雇用主であるデルタ航空は、プリンスクランドールさんが業界で最も長く勤務している客室乗務員だと考えている。「客室乗務員」は、数十年前に「スチュワーデス」に代わって使われるようになった呼称だ。

プリンスクランドールさんのキャリアは1959年、当時のパシフィック航空から始まった。同航空は米西海岸でマーチン404やフェアチャイルドF27などのプロペラ機を運航していた。プリンスクランドールさんの初フライトは、旅客定員24人のダグラスDC3だった。

「航空各社は若くて容姿端麗な女性を求めていた」と、プリンスクランドールさんは振り返る。

だが技術の進歩につれて、客室乗務員の仕事も変化してきた。ゴーゴーブーツのようなファッションが選ばれ、サービスに重点が置かれていた時代から、民間航空各社の安全に欠かせない職務となった。客室乗務員は今も身だしなみを整えて飲み物や食事を提供するが、同時に事故対応の最前線に立ち、乗客を脱出スライドに誘導したり、ほかの緊急事態に対処したりする。一度に担当する乗客の数は大幅に増えた。

プリンスクランドールさんの勤務先はここ数十年で合併、統合を繰り返してきた。パシフィック航空からエア・ウエスト航空、ヒューズ・エア・ウエスト、リパブリック航空、ノースウエスト航空を経て、08年からデルタ航空となった。

男性優位の世界で当初は苦労も

1950年代末から60年代にかけての時代、若い職業婦人への風当たりは強かった。

スチュワーデスには当時、厳しいルールが課されていた。体重や容姿の規定を設けたり、結婚退職や32歳定年を定めたりする会社もあった。

多くの女性たちは「2年くらい」だけの仕事と割り切っていた。だがプリンスクランドールさんと同じく空に魅せられ、働き続けようと奮闘し、年功を積んできたケースも多い。

スチュワーデスという仕事の起源は1930年代にさかのぼる。乗客のサポート要員として、主に看護師らが採用された。米アメリカン航空の客室乗務員組合(APFA)によると、「安い労働力」という理由で女性が選ばれた。米労働統計局(BLS)によれば、客室乗務員の平均年収は現在、約7万980ドル(約1130万円)だ。

プリンスクランドールさんにとって、過去60年の変化は金銭面にとどまらない。

会社が新しいジェット機を購入し、騒音が大きくスピードも定員も限られていたプロペラ機と入れ替え始めた時のことも覚えている。

「より高く、より速くなり、揺れが減って座席が増えた」と、プリンスクランドールさんは語る。その顔にはほほ笑みが浮かび、目には鋭い光が宿っていた。新しい機体の姿や内装の感触、ジェット燃料のにおいが今でもよみがえるという。

働き始めたころにもうひとつ、法律上の大きな節目もあった。1964年の公民権法が女性たちにどんな影響を与えたか、プリンスクランドールさんは鮮やかに思い出す。

当初は人種や宗教、肌の色、出身国による差別を禁止する法律だったが、「性別」という項目が加わったことで大きな変化が起きた。

米国立公文書館によれば、性差別禁止は法案の可決を阻止するための修正案で追加されたが、最終的にこれも含めた法律が成立した。

その結果、客室乗務員やほかの職業に就いていた全米の女性たちは、解雇の心配なく結婚したり、出産したりできるようになった。

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