(CNN) 1990年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中に「スレブレニツァの虐殺」とサラエボ包囲を指揮したボスニア系セルビア人の元司令官、ラトコ・ムラジッチ受刑者が獄中で死去した。84歳だった。
「ボスニアの虐殺者」と呼ばれたムラジッチ受刑者は2017年、1990年代初頭にボスニアの非セルビア系住民に対する民族浄化作戦を主導したとして、旧ユーゴスラビア国際刑事法廷(ICTY)で有罪判決を受けた。
国連が設立したICTYはムラジッチ受刑者に対し、ジェノサイド(集団殺害)、人道に対する罪、迫害、根絶、殺人、テロ、民間人に対する違法な攻撃、人質拘束の罪で有罪判決を下した。
ICTYの当時の判事は、ムラジッチ受刑者が指揮した一連の行為を「想像を絶する残虐行為」と断じた。
ムラジッチ受刑者は、オランダ・ハーグの国連拘禁施設で終身刑での服役中に死亡した。本人の弁護士のドラガン・イベティッチ氏がCNNに明らかにした。
有罪判決後、ムラジッチ受刑者は複数回にわたり控訴し、医療上の理由で釈放を求めていた。最後の申し立ては先週、弁護士によって提出された。
数々の残虐行為で有罪判決を受けたムラジッチ受刑者だが、とりわけサラエボ包囲とスレブレニツァの虐殺は、ボスニアのムスリム(イスラム教徒)系住民とクロアチア系住民にとって恐怖の代名詞となっている。
1992年、ムラジッチ受刑者の指揮下にあったセルビア人勢力軍は、高地からサラエボ市を包囲。下方の低地に住民を閉じ込め、2年間にわたり民間人に対する頻繁な砲撃と狙撃を行った。包囲戦の間、多くの子どもを含む1万人以上が命を落とした。
また95年7月には、国連によって「安全地帯」に指定されていたイスラム教徒居住区スレブレニツァへの攻撃を主導。この虐殺は第2次世界大戦後の欧州で最悪の残虐行為として今も語り継がれている。主に男性と少年からなる7000人以上のイスラム教徒が、わずか数日のうちに虐殺された。
前出のICTY判事は、この虐殺を「まさに地獄絵図であり、人類史の最も暗いページに刻まれた」と形容した。

2 週間前
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